変われるってムテキインタビュー vol.6 飯田静香

変われるってムテキインタビュー vol.6 飯田静香

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

 

今回のインタビューはSPINNS水戸オーパ店店長、飯田静香さんにお話をお伺いしました。

「好きなものは好き」と言える世界

ー 早速ですが飯田さんが人生の中で大きく変わったお話をお聞かせください。

飯田:三年前のSPINNSの面接を受けた時が私の人生の分岐点で23歳の時の話です。
私は中学校とかでも、2クラスあれば多い方という福島県の小さな村で生まれ育ちました。
小さい頃の私は「好きなものは好き」と主張する子だったのですが、アイドルとかドラマとか周囲の友達の流行りに合わせないと浮いてしまうような狭いコミュニティでした。
子供心に大きくなれば自分が「好きなものは好き」と言える環境にいつか変わるんだろうなと想像していたのですが、大人になってもそれは変わりませんでした。
振り返るとそれまでの私は周りが変わることを期待をしていたのですがそうはならなかったという感じです。そんな中でも強く「私は私だ」という考えを持ちながら生きていました。

飯田:高校卒業して携帯ショップで働き始めました。でも私のやりたいことは他にあってファッションとか服装や見た目を通じても「私は私だ」ということを主張していきたいと思い、仕事を辞めてアパレルに転職しました。
自分のやりたい仕事が出来たことを切っ掛けに、地元だけではなくもっと他の地域に行ってチャレンジしたい、世界を広げたいと思ってアパレルの別の会社へ転職し福島県を出ることになります。

飯田:しかしそこで挫折を味わいました。転職したアパレルブランドはとても好きなブランドだったのですが人間関係があまりよろしくない職場でした。誰かが誰かをいじめるということが常態化していて、元々嫌なことは嫌だとはっきり言う性格の私はいじめられる対象になってしまい、しんどい日々を過ごすことになります。
同時にプライベートでもいろいろ大変な状態になって、2年くらい仕事も家もしんどくて居場所もない。そもそも茨城県にいる意味もない状態になってしまいました。

こんな中途半端な状態では帰れない

ー 2年間も大変な状況の中で福島に帰らなかったのはなぜでしょう。

飯田:仕事も家も地獄だったのですが、福島を出る時に友達が送り出してくれました。色紙を書いてくれたり、結婚式でもらうような大きな花束をプレゼントしてくれたり。
親には反対されていたので家を出る前日に引っ越しすることを伝えました。
お姉さんは応援して送り出してくれました。
そんな皆んなの応援があったのに、こんな中途半端な状態では帰れないという思いで踏みとどまっていました。
もらった手紙を読み返したり、相談した友達には「帰っていいんだよ、誰も責めないよ」と言ってもらったりしたのですが、私の勝手なプライドというか「どうせ出たんだったら、何か成し遂げてから帰りなさいよ」と思う自分がいました。

ー 自分に対して厳しく律する飯田さん。そのルーツはどこから来たのでしょう。

飯田:父親は職人をしていてその道一本で生きてきた人で頑固な人です。
母親も肝っ玉母さんという感じで、一度始めたなら最後までやり切りなさいというふうに育てられました。武士のような、途中で投げ出すのは恥だという考え方で生きてきて、私もその考え方には共感していました。
だからこそ家も仕事もしんどい毎日だったけれど負けてられないと思ったのだと思います。

「私のラストチャンスを自分で無いものにしてしまった」

ー 負けん気の強さでしんどい日々を耐えてきた飯田さん。それもいつまでも続くわけではありません。

飯田:この辛い日々に負けてられないと思っていた私にも限界があります。
福島に帰りたくはありませんでしたけど親に迷惑もかけれないと葛藤している中スピンズのスタッフ募集に目が止まります。
これをラストチャンスと思い、スピンズ水戸店のオープニングスタッフに応募しました。

飯田:ラストチャンスで受ける決意で臨んだスピンズの面接だったのですが、一時からの面接を二時だと勘違いをしてしまっていて、面接会場に向かう途中で当時の店長から電話が来て一時からだったことに気がつきました。正直「終わった」と思いました。
「私のラストチャンスを自分で無いものにしてしまった」と思いながら電話をしていると「時間あるから来てください」と言っていただき面接を受けさせて頂くことができました。

ー 背水の陣で挑んだ面接。しかし遅刻をしてしまった飯田さんはどうなったのでしょうか。

飯田:会場についてドアを開けると髭面のおじさんと超絶ギャルが座っていて「めっちゃ怖ぇ」と思いました。でも遅れたにも関わらず面接を受けさせて頂けたことにまず感動していました。
せっかく与えてもらったこの機会は私にとって最後だし、これがダメだったら実家に帰って地元で生きようと思っていたので私の持ってるものを全て出し切ろうと思いお話しさせてもらいました。

飯田:全て出し切り終わった面接では一週間後に合否の連絡というお話しだったのですが、次の日に「副店長候補として研修も兼ねてすぐ働きませんか」と合格の電話をいただきました。少し泣きました。ここが私の大きな分岐点の始まりです。

私を受け入れてくれる、変えてくれる場所

ー ギリギリのところでチャンスを掴んだ飯田さんの心境はどんな感じだったのでしょう。

飯田:まず福島に帰らなくて良くなったということも嬉しかったです。でも、それよりも私の気持ちを汲み取ってくださった面接の方に触れ、世の中にはこんな人がいるんだ、こんな会社があるんだという第一印象で会社の事が好きになりました。
それまで働いてきた会社では私の趣味やメイクやファッションもに対して否定されることもありました。でも、そんな私を認めてくれる場所なんだということを面接だけでも感じました。もしかするとこの会社はこんな私を受け入れてくれる、変えてくれる場所なのかもしれないと思いました。

ひとりでは何もできないことを痛感

ー SPINNSで働き始めてからの飯田さんは順風満帆だったのでしょうか。

飯田:SPINNSで働き始めていろんな経験や体験をさせて頂くのですが上手くいかないことも沢山ありました。そんな中、社内研修で出会った方から「おしずって固定概念強いよね」と言われたことをとてもよく覚えています。「固定概念が強いからこうあるべきと固執することで、おしずの世界を狭めているよ」と言われ「はっ」となりました。点と点がつながった気がしました。

飯田:私は周りに恵まれていました。問題児で大変だったのですが、今こうやって生きていられるのも周りの人に助けられたおかげで今があると実感しています。同時に負けん気が強い私もいて、副店長だった時に人間関係が良くない状態になった時は負けん気の強さで乗り越えられたと思います。辛い仕事があっても最後までやろうと超えて来れました。
だから店長になった時は自信満々で「やっていけるでしょ」と思っていました。
でもいざ店長をやってみると、私の「やるならやりなよ」という強い気持ちを周囲にも強く押し付けていたのだともいます。するとお店のスタッフ全員から嫌われていました。その理由は私が怖くて意見が言えませんという事でした。最初は私だったらこういう状況でもやっていけると思っていました。でも段々とお店も回らないし、お店に行くことが辛いかもと思い始めていた自分がいました。他の店舗の人たちに相談していたら他の店長も完璧に仕事をしているというわけではなくて誰もが苦手な部分を持っていて、それを補う人が必ずいるという事でした。ひとりでは何もできないということに気づかせてもらいました。

自分の色眼鏡を外していろんな人の世界を見てみたい

ー 店長になって大きな壁にぶつかった飯田さん。どのような変化が起こったのでしょう。

飯田:周りが変わってくれると期待するのではなくて、自分の頑固な殻を破って自分が変わると自ずと周りも変わっていくことが出来るようになったことが私の一番変われた事だと思います。
それを気づかせてくれたのがこの会社だと思います。

ー 壁にぶつかって大きなことに気付いた飯田さん。この出来事を通じて学んだことはどんなことだったのでしょう。

飯田:最初にお伝えしたように、私は大人になれば周りが変わってくれるだろうと思って生きてきました。でもよくよく考えてみるとスピンズに入った時の面接も、私を受け入れて貰えたのは私自身が「最後だから全部出し切ろう」と自分が変わることができたからだったのだと思います。
それまで感じていた悶々とした不満や不安の正体は、周りのせいにしていたり自分の頑固さが世界を狭めていたんだということに気がつきました。

飯田:もちろん「こうあるべきだ」という小さな世界観は今でも出てきてしまいます。でも「自分の色眼鏡を外していろんな人の世界を見ていきたい、そんな人間になりたい」と思いながら日々仕事をしてます。例えば、店長としてお店ではスタッフに質問を意識的に自分からするようにしています。私はいつまでも話せるくらい話好きです。だからこそ自分よりも相手の話を聞けるようにこちらから質問をするように心がけています。プライベートのこと、小さなことから気にかけて聞いていくと逆にスタッフから質問をたくさんしてくれるようになります。
そんな日々を積み重ねていくと目標が少しずつ達成されていっている実感があります。もちろんしんどいこともあります。でも友達からはしんどいこともありながらも、みんなの中で一番楽しそうに仕事しているのはおしずだねと言ってもらえてます。

助けてくれる仲間の存在。だからこそ、その前に自分が仲間を助けていく。

ー 飯田さんにとってムテキとはどんなことでしょう。

飯田:ひとりではムテキにはなれません。信用、信頼できる仲間がいて初めてムテキになれる。助けてほしいと伝えて助けてくれることはあると思うのですが、信頼できる仲間になると自分が困った時に言わなくても気づいて動いてくれる仲間達です。だからこそ、その前に私が仲間を信頼して仲間の困ったことに気付いて助けたり感謝を伝えていきたいと思います。

プロフィール 
飯田 静香【おしず】 
福島県玉川村出身 
SPINNS水戸オーパ店 店長 
23歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。 
入社してすぐSPINNS水戸オーパ店副店長を務め、2021年9月に店長就任。
 お客様もスタッフも笑顔で溢れる幸せなお店を作るをモットーに日々奮闘中!! 
水戸店からSPINNSに来た人全てにブランドコンセプトである「変われるって無敵」を全国にむけてお届けしていきます!
インタビュアー 
大槻彦吾 (g5designs & Co.)