「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSPINNS金沢店の店長をされている太田風汰さんのお話をお伺いいたします。
大手企業入社一日目で退社
ー 太田さん自身が「変われたエピソード」と聞かれて真っ先に思いつくお話をお聞かせください。
太田:スピンズに入社した経緯の話になります。学生時代は何もしてないというか「これをやる」と決めても途中で投げ出したりするような適当な人間でした。
そんな僕でも高校卒業のタイミングで新卒就職をしたんです。農業高校の食品科だったので大手の乳業会社から内定をいただきました。例年は三〜四人くらい内定が決まるようなのですが、その年は「内定が決まったの君一人だけだよ」と言われました。
そんな僕でしたが「ここで働きたい」という思いでは面接受けていませんでした。
なんとなく毎年人気の会社だから行ってみようくらいの感覚で行ったら内定が決まってしまった感じです。
太田:そうこうしている間に高校を卒業し、働き始める間に二、三ヶ月間が空くのですが、その時に「やりたいこと」が見つかってしまったんです。
たまたまスピンズ金沢店に立ち寄ったら、当時はみんな明るくてカラフルな僕がやりたい格好をしているスタッフの方が沢山いました。
高校時代は僕らの友達グループでは服にお金をかけるという習慣がありませんでした。お金の使い道といえば食べ物とかで、服に関しても流行は知ってましたけど買うまでもないという感覚。
そんな僕が見た目だけなんですけれど服に興味を持ち、ピアスとか髪色とか一般的ではないことをやるという事を僕はやりたいんだということに気がついてしまったのです。
自分を全面に出せる仕事がしたい。
ー やりたいことに出会ってしまった太田さんはどんな行動に出たのでしょうか。
太田:内定を頂いた会社を選んだ理由は給料がいいからとか安定しているからという理由だったのですがスピンズで働いているスタッフの姿を見ていると「ここが好きで働いている」というのが伝わったのだと思います。
どんだけ給料が良くても自分がやり続けられる仕事、自分を全面に出せる仕事の方がやりたいという事を知ってしまった僕はその瞬間にここで働きたいと思い、内定を頂いていた会社には一日だけ行って「やりたいこと見つかったので辞めます」と言って辞めてしまいました。今考えてみたらヤバイ奴ですよね。その後スピンズに応募して面接を受けさせてもらい入社することになりました。
ー 内定を貰った会社を初日で辞めた太田さん。周囲の反応はいかがでしたか。
太田:初日に退社することになって先生と親に怒られました。特に親にはものすごく怒られました。
その後スピンズの面接を受けた時も、当時の店長に「初日で就職やめたっていうのは企業的には(悪い意味で)引っかかる部分だと思うよ」と言われました。
スピンズではその行為というよりは内面を見るからとも言って頂き受かることができました。
楽しいのは大切。でも楽しいだけではダメなんだ。
ー 学生の時何もやりたいことが無かったけど、やりたい事を見つけ人生の大きな決断をした太田さんはその後どのように変わっていったのでしょう。
太田:学生の頃アルバイトをしていたので仕事をするということは初めてではありませんでした。しかし上下関係ですとかそういうことは分かっていなかったので、生意気だったと思います。
学生アルバイトの時にそういう生意気な僕の態度を指摘したり教えてくれる人はいなかったのですが、スピンズでは上下関係のこととか礼儀とかを教えてくれる先輩達が沢山いました。
それでも僕は生意気な態度について何が悪いのかも判断がついてすらいなかったので、スピンズで働いているというその瞬間が好きだという感覚だけで仕事をしていました。
だから上を目指したいとか、スピンズでこうなりたいというのも無い状態がずっと続いていました。
太田:そんな中入社して五年くらい経った時に金沢店が今の場所に移転することになります。
それと同時にスタッフも入れ替わるタイミングで、気がついたら僕の上司や先輩が店長だけになってしまっていました。この会社でこうなりたいとか思ってもいないけど、入社歴でいうとナンバー2になってしまったのです。
そのタイミングで店長サブ(副店長)をさせて頂いたのですが、こういう甘い考えだったので当時の店長はそんな僕を叱ってくれました。
楽しいことはとても大切なことですが、楽しいだけではダメなんだということにようやく気がつくようになりました。
割と長い期間店長サブ(副店長)の仕事をしてきたのですが、改めて自分がこの会社でやりたいことを考え直してみるともっと視野を広げたいと思っていました。最初は上に行きたいとか思ってもいなかったのですが、スピンズで働いていく中で向上心が芽生えている自分が気がついたらいました。
そうやって意識をする中で辿りついたのはこの会社で自分も店長をやるという事でした。
役職をはずされ、悔しくて泣いた日。
ー 自分がやりたいことが店長だと気がついた太田さん。しかし消去法的に店長しかなかったとも受け取れるのですが、自身が店長をやりたいと思えたきっかけはあるのでしょうか。
太田:ひとつ僕にとって大きな事件がありました。店長サブ(副店長)の役職を外され、僕の後輩が店長サブ(副店長)になったのです。
おそらく当時の店長は僕が「店長がやりたい」と言ってるだけということに気がついたのだと思います。
その時悔しくて「こんなに頑張ってるのになんで」という思いが湧いてきて泣きました。
しかし頭を冷やして考えてみると、店長サブ(副店長)の仕事を業務的にやってるだけの自分に気がつきました。
後輩スタッフと向き合うこともしてませんでしたし、言われた仕事をやってただけで自分から聞きにいったり主体的に動くこともないという自分の課題に気がつきました。
そんな中でよくよく考えてみるとやっぱりこの会社が好きで、店長を諦めたくないという強い思いが出てきた事も事実です。
受け身の姿勢でで仕事をしていた自分の考えを改める機会になりました。
それからは、そもそも店長という仕事はどういう仕事なのかとか内面を考えるようになりました。
そのタイミングで転勤の話が来たのです。
怖いけど成長になる。
太田:大宮店に異動してくれという話でした。
元々の自分は行動力もなかったので以前の僕だったら、異動の話が来ても「いやいや金沢の店長がやりたいんだ」と断っていたと思います。
でもその役職を外される事件があったからこそ僕自身に経験が浅いことが課題だと認識していたので、関東に行くのは怖いけど成長になると思い大宮店に一年半異動させて頂きました。
太田:僕は関東にそれまでの人生でほとんど行ったことがありませんでした。
石川県からひとりで関東に行って、何も知らない地で住むということ自体が初めてで不安でした。
全く知らないスタッフ、店長の方も名前しか知らないような状況で店長サブ(副店長)で入ってくれというお話だったのでスタッフがついてきてくれるのかという先が見えない不安がありました。
太田:しかしいざ行ってみると、関東の店長さんやスタッフの方々との新しい出会いが沢山ありました。
他店へのヘルプもめちゃくちゃ行かせてもらって関東のほぼ全ての店舗で働く経験も得ることで、いろんな店長の働く姿を見せていただくうちに自分の中でのこうなりたいという店長像というのが出来ていきました。
不安から楽しみへ。
ー 大きな不安を抱えながらも関東への異動を経験した太田さん。どんな変化があったのでしょう。
太田:まず自信がつきました。知らない土地に住む経験やいろんな店舗へのヘルプに行くのは不安ばかりを感じていたのですが、今では知らない場所に行って知らない人と出会うことが楽しみになりました。
知らないスタッフの事を知ることができたり一緒に働けるというのはとても楽しいです。同じ時間を共有することでスタッフや店長から学ぶことが多く、沢山吸収して楽しく帰ってくるという感じです。
ー 関東への異動を通じて出来てきた理想の店長像とはどんなイメージでしょう。
太田:そんな過程を通じて僕の中での理想の店長像というのが形成されていきました。
言葉にすると難しいのですが「一番元気でいる」というのがあります。
元気のない店長っていないと思いますけど、元気がないとスタッフも暗くなっていきます。
「店の中で一番元気で明るく」というのが僕の理想の店長像です。
ー 「一番元気で明るく」という店長像に気づいたきっかけはどんなことがあったのでしょう。
太田:個人的にスタッフと話したり笑わせたりすることが好きなんですがそれを続けてたことで大宮店で働いている時に僕がいると明るくなりますと言ってくれるスタッフがいました。
僕は当たり前にしていたことだったのですが、実はそれってとても大事なことなのかもなと気付かされました。
そのスタッフの言葉のおかげで元気がもらえるとか、いてくれるだけでお店の雰囲気が明るくなるという店長ということに気付かされました。
本音でお互いに話をする大切さ。
ー 一年半の異動から帰ってきた太田さん。念願の店長になってからはどんな日々を送られているのでしょうか。
太田:関東から戻ってきて三ヶ月後に金沢店の店長になり二年が経ちます。
僕が思っていた店長像「元気で明るく」は出来ていると思います。でも同時に壁にぶち当たることも多いです。一番大きな壁は僕は以前の店長のようにスタッフを育成するのが上手ではないのでスタッフがすぐ辞めてしまうことです。
先輩からはもっとスタッフと対話しようと言われています。
お店での普段での会話は「元気に明るく」が得意なのでコミュニケーションはとれるんですが、一対一の個人ミーティングになると結構緊張してしまう自分に気づかされました。
一対一でお互いの本音をきちんと話すことの大切さは分かっているのですが、店長は業務が立て込んでる事を言い訳にスタッフと本音で話す機会から逃げている自分にも気づいたので今挑戦中です。
ー 太田さんはどんな未来を描いているのでしょう。
太田:僕は地元が好きなのですが、大型ショッピングモールができていくのと同時に商店街に元気がなくなっていることが気になっています。もっと商店街に若者の居場所やコミュニティができたらいいなと思うので古着が置いてあるバーがやりたいなって思っています。服を買いにくるだけの接点だけではなくて、ゆっくりとお客さんとお話しできるような場所を作って地域密着型の場所が作りたいと思っています。
折角だから自分を出して楽しんだ方がいい。
ー 太田さんにとって「ムテキ」ってどんなことでしょうか。
太田:お話ししたこととつながると思うのですが「何事も元気に明るく物事をやっていく」ということかなと思います。仕事もプライベートも笑いながら生きていくということがムテキだと思います。関東に異動した時、本当に不安でしたけど折角来たのだから自分を出して楽しんだ方がいいと吹っ切れたことで本当に楽しい一年半になりました。時には悩んだりする事もあると思いますけど人生という限られた時間で悲しむ時間より楽しく生きている時間が多い方が得ですし、何より僕は元気に明るく生きることの大切さを学ばせてもらいましたから。
プロフィール 太田 風汰 【フウタ】 石川県金沢市出身 SPINNS金沢店 店長 18歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。 入社から23歳までの間、金沢店で勤務を経て大宮店勤務に。 25歳で再び金沢店勤務となりその年、金沢店店長に就任。 現在もSPINNS金沢店店長として活動中。 SPINNSのコンセプト 『変われるってムテキ』を モットーに、来て頂いたお客様に 「面白い」「新しい」「また来たい」と思って貰えるお店を日々心がけております!
インタビュアー 大槻彦吾 (g5designs & Co.)