「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSUPER SPINNS梅田HEPFIVE店 仲宗根あゆみさんにお話をお聞き致しました。
私の中の「スイッチが入った瞬間」
ー 仲宗根さんの幼少期の頃からのお話をお聞かせください。
仲宗根 :小さい頃からスポーツなどの習い事を何かしらやっていました。
ただ飽き性というか、ひとつのことが長く続かない人で中途半端なことが多かったです。
そんな私でしたがダンスが強い高校に進学することになります。
その高校は強いだけあって体力も使いますし厳しい部活でした。
そこで日々を過ごすにつれて私自身のダンスが上手くない、追いついていけないという現実が目に見えてわかりました。
仲宗根 :そんな現実を目の当たりにすると逃げ出したい気持ちに駆られました。
ちょうどその頃、大会の予選があったので「この予選に落ちたらやめよう」と考えて参加をします。
発表が終わって3位から予選突破チームが呼ばれるのですが、3位の時点で呼ばれなかったので「予選通過できなかった」と思っていたら、1位で呼ばれてしまってチームは喜びを爆発させて泣いている子たちもいました。
そんな中、私は「落ちたらやめる」という感覚があったので泣けませんでした。
順位発表の後、みんなで顧問の先生の元に駆け寄って1位通過の報告をしに行くと、あれほど厳しかった先生が涙を流している姿を目の当たりにした瞬間、私の中の「スイッチが入り」ました。
結局あれほど辞めたい辞めたいと思っていた部活を引退する最後までやり遂げることになります。
あの時のスイッチは今でも覚えています、本当に「一瞬で変わった」瞬間でした。
仲宗根 :ダンス部はメンバーが10数人いました。
入部する時にオーディションがあって、1位から最下位までダンスを披露してして順位付けされるのですが、その順位が高校の3年間影響してくる順位になっていて、私は下から数えた方が早いくらいの順位でした。
ダンス経験者もいたので勿論差が出るのは当然なのですが、その順位を私は受け入れられなくて、少し不満を持った状態で部活に取り組んでいたと思います。
でも、この「スイッチが入った」後はその順位とかが気にならなくなったというか、吹っ切れたというか、そんなことに囚われなくなりました。
それまでの一人一人の順位は上下合ってもチームとしては一位だったということが大きかったのだと思います。
カワイイなと思っていたスタッフさんがトレーナーになったらめちゃくちゃ怖くて
ー SPINNSに入社したのはどのような経緯だったのでしょう。
仲宗根 :専門学校卒業してすぐにSPINNSに入社しました。
学生の頃からずっとSPINNSのポイントカードを5000pt貯めてたくらいのバリバリの顧客でした。
当時は梅田に来たらSPINNSに行く。何かの用事がなくてもわざわざ電車に乗ってSPINNSに寄るためだけに来たりして、コンビニ感覚で立ち寄っていました。
当時のSPINNSは原宿系でキラキラでカワイイ商品が手頃な値段で揃っているのが魅力でした。
仲宗根 :私はテレビ業界系の専門学校でヘアメイク、スタイリングのコースで学んでしました。
学校では経験をたくさんさせていただいたのですが仕事にするのは少し違うと感じてその道には進みませんでした。
元々ファッションが好きで、SPINNSに通っていたので働くならSPINNSだなと感じて応募して採用していただき卒業後すぐに働かせていただくことになりました。
仲宗根 :お客さんでSPINNSに通っていた頃、お店に行くたびによく目を合わせてニコッとしてくれる、とっても可愛いスタッフさんがいて、その人と一緒に働けるのってどんな感じなのだろうと想像したりしていました。
実際、入社してトレーナーとしてついてくださった方がそのスタッフさんだったのですけど、めちゃくちゃ怖くて(笑)
初めてのご挨拶の時に「私ずっと好きでした」みたいなことをお伝えしたのですけど「え、そうなの」くらいの感じで全然盛り上がらなくて。
そのスタッフさんは関西の方じゃなかったので標準語で淡々と指摘してくださるのが怖すぎたので一瞬嫌いになりかけました(笑)
今でも仲良くさせていただいていて、ご飯もたまに行かせていただいています。
失敗しても何度も立ち上がる姿を見て、心配している「自分がバカみたい」と思えた
ー SPINNSに入社したのはどのような経緯だったのでしょう。
仲宗根 :レディース雑貨の担当をさせていただいていたのですが上司が異動となるタイミングで担当長をやってもらえないかと頼まれたのですが、私の「辞める辞める病」だった時だったのでお断りしてしまいました。
その時の私はできるかわからないし、責任を持つのが怖くて、とにかく失敗することが本当に怖かったです。
「失敗する自分」を自分で見るのが怖くて仕方がなかった感覚でした。
SPINNSでは「失敗する風土を大切にする」と唱和で言うのですが、私の頭の中にはその意味が入ってきていない時でした。
仲宗根 :私が担当長をお断りしたことで他店舗から担当長になられる上司が来られました。
その上司の方と働くことで私の考え方が変わっていきます。
その方は人との関係性、繋がり、関わりを大切にする方で「失敗してもいいんだよ」と言うことを身をもって教えてくれました。
雑貨の担当自体についたこともなかった人だったのに、担当長をしに来られたこと自体が私と対照的で、私は長年雑貨の担当をしているのに「できるかわからない」と担当長をやらなかったのに未経験で担当長をするって本当にすごいと感じました。
こう言う言い方するのもあれですけど、最初その上司の方の仕事はダメダメだったんです。
毎日毎日お仕事で何かしらの失敗をされていて、それでも毎回立ち上がってまたやろうとされるその姿やいろんなことに挑戦する姿を一緒に働きながら目の前で見ていて「失敗してもいいんだ」ということを本気で教えてくださったのはその上司の方でした。
今まで「失敗したらどうしよう」と考えていた自分が「バカみたいだな」と思うようになっていました。
「後押ししてくれる人達がいる」と言う勇気
ー その後、仲宗根さんはどのように成長されていかれたのでしょうか。
仲宗根 :最初の頃は、当時の店長さんには何回も「辞めます」ということを言っていました。
私はそういう人にはチャンスは来ないと思っていたのですが、当時の店長さんは何回もチャンスを与えてくれました。
そんな日々を送る中で「辞めたい」と思うことすらも忘れるくらい、なぜか働いていました。
失敗することをあれだけ怖がっていた私も失敗することに囚われることがなくなって、やってみたい気持ちから担当長をさせていただくことになって、その後に正社員にならないかと誘っていただき正社員になることになります。
お誘いを受けた時「断られるかと思った」と店長さんに言われたのですが逆に言うと「断られると思ったけど誘ってくださった」ということだと思いました。
そうやって後押ししてくれる人達がいるということが私に勇気を与えてくれて、自分が頑張ろうと言うきっかけになりました。
仲宗根 :今は私がいつ抜けてもいいようなお店が作りたいです。
去年、異動で多くの社員さんがお店から抜けてしまったので尚更ですが、誰かがいないとお店が良い状態にならないというより、全員が少しずつボールを持って常に良いお店であるようにしたいと考えています。
怖さとかが吹っ飛ぶような言葉
ー 仲宗根さんにとって「ムテキ」とはどのようなイメージでしょう。
仲宗根 :自分の持っている怖さとかが吹っ飛ぶような言葉
思っていた不安の感情を一気に消し飛ばせるような「感覚」のような。
言葉にすると難しいのですが、高校のダンス予選で体験した先生の涙を見た瞬間の「スイッチが入る」感覚です。
プロフィール
仲宗根あゆみ(なかぞねあゆみ)
大阪府高槻市出身
SUPERSPINNS梅田店 店長サブ 20歳の時にヒューマンフォーラムに入社。
メンズ担当、雑貨の担当長を経験し、今年から店長サブとしてSUPERSPINNS梅田店で活躍中です。
インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。