「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSPINNS FC事業部(フランチャイズ事業部)濵﨑颯香さんにお話をお聞き致しました。
挑戦することへの怖さが薄らいだ気持ち
ー 濵﨑さんが一番変われたと感じられた出来事のお話をお聞かせください。
濵﨑 :仕事とプライベートそれぞれに大きな出来事がありました。
SPINNSに入社して3年目くらいの頃に当時の店長さんから「韓国に仕入れに行ってみないか」と声をかけていただくことがありました。
独学でハングル文字を読めるくらいまでは勉強していたくらい韓国が好きだったので即答で「行きたいです」とお答えしました。
仕入れはお店が欲しい商品を仕入れるということもあったのでプレッシャーもあったのですが、店長さんからは「颯香がいいと思ったものを仕入れて、たくさん経験しておいで」と言っていただいて「自分なりにやっていいんだ」と背中を押してくださっていたなと思います。
濵﨑 :韓国での仕入れはバイヤーさんと現地で合流してお仕事させてもらいました。
お店にいたら見えなかった海外現地での仕入れからお店に到着するまでの流れも目の前で見てきて「アパレルってすごいなぁ」と感じました。
当時はカーゴパンツを仕入れたかったのですが、万人受けするスタイルではなかったので迷いがありました。
でもそんな時、店長の言葉を思い出して自分の直感を信じてみようと思い、色々な種類のカーゴパンツを仕入れしました。
お店にその商品が届いたらボディに着せたり、ディスプレイしたりして「これ着てみたい」と言われるお客さんの反応を店頭で直接見れたのは、今まで経験したことのない世界でした。
濵﨑 :その経験から元々内向的な性格だったのですが、挑戦することへの怖さは薄らいだ気持ちで「自分も成長したな」と感じた瞬間でした。
「これを機に新しい自分になろう」
ー 内向的だった頃の濵﨑さんのお話をお聞かせください。
濵﨑 :元々人見知りで内気な性格で、学校にあまりいけない引きこもりの経験もしました。
小学校低学年くらいの頃はおてんばで怪我をよくしたり、骨折したりとお母さんをよく困らせる活発な子でした。
小学校の中学年くらいから人の目を気にしだす自分になっていました。
自分なりに原因は両親の離婚がきっかけだったのかなと今となっては思います。
環境を気にしたり、人の言葉や目線や空気感を感じ始めるようになってました。
誰かが誰かとコソコソ話していると「自分のこと言われているのではないか」と悲観的に捉えてしまうような子でした。
それが家の中だけでは治らず、学校に響くようになって月に1週間いくかいかないかの生活になって気がついたら中学になっていました。
濵﨑 :中学も終盤に差し掛かると「高校に行けないかも」と焦りが出てきて、徐々に学校に行けるようになりました。
高校は地元から離れた場所に行くことにしました。
その時「これを機に新しい自分になろう」と思いました。
挑戦することへの怖さが薄らいだ気持ち
ー 新しい自分になろうと決意できたのはどんなきっかけがあったのでしょう。
濵﨑 :焦りがあったのだと思います。
小学校、中学校に通えなかったことで自分の人生を楽しめてないことが勿体無いと思っていました。
当時は趣味だけをしていたのですけど、それだけだとつまらないと感じるようになってました。
携帯の中には「こういう風に友達と遊んだら楽しいだろうな」と思う世界がありました。
それを考えた時に「自分は今までそんな経験してきていないな」と思って、今までの私を知ってる友達と離れるので「誰も知らないところで一からやり直そう」と一歩踏み出しました。
濵﨑 :心機一転学校に通い始めましたが高校2年になると学校に通うのが億劫になってきました。
高校1年生の頃からアルバイトして働いていたので仕事をしている時の方が楽しいと思っていました。
それもあってか毎日学校に行くのが嫌だなと思うようになってました。
高校3年生に上がるタイミングで通信制の学校に通うことにして、課題と登校日に通えば卒業資格がもらえる学校に行って、後の生活は全てアルバイトに明け暮れる日々を送りました。
仕事が好きでした。
お店を創り上げて行く事に病みつきになっていました
ー お仕事のどのようなところが好きだったのでしょう。
濵﨑 :飲食店とかコンビニとか色々な仕事を経験してきたのですが、全部好きです。
料理の仕込みもレジでお客さんと接客するのもどれも好きでした。
私にとって学校は勉強するためだけというイメージを持っていて、仕事は同じ仕事場の人と楽しく働くということがとても新鮮でした。
友達がいなかったこともあって職場でのコミュニケーションをとる事をとても大事にしていた自分もいました。
職場の人たちと創り上げていくことに楽しさを感じていました。
オープニングスタッフとして一からの空気を創り上げていくという、何も知らないメンバーが徐々にレベルアップしていってお店を創り上げて行くことに病みつきになっていました。
小学校の頃に行った記憶
ー SPINNSにはどういう経緯で入社されたのでしょう。
濵﨑 :高校生の頃の友達がSPINNSに応募したいと言ってきたことがきっかけです。
SPINNSは認識していなかったのですが、調べてみたら小学校の頃に親と行った記憶がありました。
覚えていたのは店員さんが派手で、商品がものすごく沢山あって面白そうなお店という記憶で、自分もここで働いてみたいなと思ったことがきっかけで友達と一緒に応募することになりました。
結果は友達が落ちて、私が受かるという気まずい感じになってしまったのですが、友達も応援してくれて入社することになります。
濵﨑 :入社すると想像通りスタッフは皆さん派手で、自分の個性を大事にしようとしている姿にすごく憧れました。
「こんな店員さんになりたい」と思っていました。
濵﨑 :SPINNSのスタッフは主体的に関わる人が多いので、SPINNSに入ってから内向的な私の性格から徐々に抜け出していっている感覚がありました。
会社の垣根を越えて関わっていく
ー SPINNSで現在はどのような事をされているのでしょう。
濵﨑 :子供が生まれた事をきっかけにSPINNSで働くか迷った時期がありました。
その頃FC事業部が出来たことで、異動させてもらう事になります。
FC先の店舗の人材育成やディスプレイや店舗構成、棚卸しなど店長のような仕事内容を全部任せると言っていただいて挑戦中です。
FC先の店長さんと一緒にお店を創り上げて行くことを通じて主体的に動く自分になっていっています。
FC先の店舗は全て一から創り上げていくことができるので、以前のアルバイトのエピソードと似た話になってしまうのですが、いろんな店舗で経験させて貰えていることが楽しいは勿論ですが、大変なこともありつつ会社の垣根を越えて関わって行く事を通じて昔の自分とは全然変わっていっていると実感させて貰えています。
沢山の笑顔と感動をもらっている子供に感謝
ープライベートでの「変われた」エピソードはどのような出来事でしょう。
濵﨑 :子供ができたことで将来の不安は勿論あるのですが、私の元に来てくれた子供にはとても感謝しています。
母親としての経験はまだ浅いですが、子育てに正解はないので試行錯誤する毎日です。
沢山笑顔を見せてくれたり、日々成長する娘を見ると沢山笑顔と感動をもらっているので子供には感謝です。
子供ができる前から責任感が強い方でした。
両親が離婚したことで私も一家の大黒柱として家族を支えるんだという気持ちを持ったまま仕事をしてきたのですが、子供ができた事で「この子も守るんだ」という責任感増しました。
それまでは「なるようになるか」と考えてきましたけど、今は未来のことも考えたり、以前より沢山考えるようになりました。
踏みとどまっていた時に、背中を押して勇気をくれた存在
ー 濵﨑さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージですか。
濵﨑 :私にとっての「ムテキ」は「背中を押してくれる人と背中を押す人」です。
踏みとどまっていた時に、背中を押して勇気をくれた以前の店長の存在によって私は成長することができました。
これは私だけではできなかったことです。
そして今は私が誰かの背中を押す存在でありたいと思っています。
プロフィール
濱崎 颯香(ふーたろー)
福岡県糟屋郡出身
FC事業部
17歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。
20代前半でNM担当長、海外出張を経験し、現在はFC事業部で西日本エリアで活動中。
売り場や日々の接客を通して『変われるってムテキ』を各店舗のスタッフとFC事業部西日本チームが一丸となって伝えています。
インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。