「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSUPER SPINNS福岡PARCO店 赤岩奈奈さんにお話をお伺いしました。
一緒に行って、背中をポンと押してくださった
ー 赤岩さんの幼少期からのお話をお聞かせください。
赤岩:中学2年生の時に不登校になりました。
部活で物を隠されたり、友人が話しているところに行ったら話しなくなったり、カバンに付けていたものが無くなったりして、次第に教室でもそんなことが起こるようになって学校に行きたくなくなってしまい、長期の休みに入ってからそのまま学校に行かなくなりました。
赤岩:嫌がらせをするターゲットがどんどん回ってくる感じだったのですが、私はそれが嫌でターゲットになっていた子とも仲良くしていたのですが、ターゲットにされていた子が辞めたことをきっかけに私に矛先が向いたのかなと思います。
なぜ私だったのかは明確には今だに分からないのですけど。
ー いじめの現場に居合わせると傍観者になる人が多い中で、ターゲットにされている子に寄り添えたのはどうしてだったのでしょう。
赤岩:元々嫌がらせを受けてた子と小学生の頃から仲が良かったことが大きいと思います。
私は大好きな子だったし、親やお婆ちゃんから小さい頃から礼儀や行儀を厳しく躾けられていたので、その影響も大きかったのかもしれません。
お婆ちゃんはとても厳しい方で、友達からも怖がられてたくらいです。
母も礼儀と行儀に関してはとても厳しく育てられました。
赤岩:部活でもクラスでも違うグループでしたがコソコソ話されたりがずっと続いて結局不登校になりました。
1年くらい経った頃、先生が来てくださり保健室登校から始めました。
最初はとても勇気がいったのですが、今でも覚えているのですが保健室の先生がとても良い先生で保健の仕事も忙しいのに毎時間毎時間様子を見にきてくださりました。
中学2年生の3学期の終わり頃、1時間だけ教室に上がってみようと言ってくださり教室まで一緒に行って背中をポンと押してくださって、そこから少しずつ慣れていきました。
一人じゃなかったことに救われた
ー 教室に行くのはとても勇気が必要なことだったと思いますが一歩踏み出せたのはどうしてだったのでしょう。
赤岩:親に迷惑かけたくないなという思いもありました。
それと他にももう一人保健室登校の子がいて、その子もとても仲が良かったのですが同時期に一緒に頑張って教室行ってみようと一人じゃなかったことも大きかったと思います。
その子も頑張ってるから、私も頑張ろうって思えました。
クラスの心配してくれた子達が4人くらい「一緒に行こう」と来てくれたり。
この時一人じゃなかったことは本当に救われました。
この経験は親から「人の気持ちになって考えて行動しなさい」とは言われてはいたのですが実際に自分がこんな状況になって人の気持ちになって行動する大切さを学ぶことが出来ました。
その後高校や専門学校に行ったときも出会う友達の中で一人になっている子を見かけると「きっとあの子も話したかったりするよな」と思って自分から積極的に話しかけに行くようにしています。
すると最終的に一人だった子がみんなと仲良くなったりしているのを見ると嬉しいなと感じますし中学の不登校になった体験があったからこそ出来ることなのかなと思います。
ー 嫌がらせをしてきた人たちに対して怒りは湧かなかったですか。
赤岩:もちろん怒りの感情は湧きました。私が何かしたのか考えても考えても分からなかったのでどうしてそんなことをされなければいけないのかが理解できなかったから。
コソコソ言うなら、直接言ってくればいいのにと思っていましたし。
「直接言って」と言えなかった自分に対しての腹立たしさも大きかったです。
言えなかったのは怖かったからだと思います。私にはその勇気がありませんでした。
友達との喧嘩もした事がなかったので、思ったことを勇気を出して言うという経験がありませんでした。勇気を出していうことでもっと傷つくことを恐れていたのだと思います。
はっきりと自分の意見を言えるようになっていた
ーその後どうなるのでしょう。
赤岩:学校に通えるようになって中学3年生になったのですが学生時代で一番楽しかったクラスになりました。
小学校の時の友達が一気にクラスに集まった感じで、一緒にいる子たちも8人くらいいたのですが全員活発な子達ばかりでそのクラスになれた事が私にとって救いでもありましたし、引き続き私に嫌がらせしてきた子達は別のクラスでしたがこちらを見てコソコソ言うこともありましたけど友達が味方になってくれていた事で怖かった思いが無くなりました。
今でも繋がってる友達が多く、中学3年の時本当にいい友達に巡り会えたなと思います。
クラス全体が男女関係なく仲が良いクラスで、受験前になっても全員でドッチボールしたり長縄したり弾ける遊びをしてたクラスでした。
赤岩:中2の体験で人に伝えることに怖さがあるのですが、中3での体験で味方がいることや人に頼るということを覚えたような気がします。
その後、高校に進学したのですが高校は凄く個性的な人たちが多く、中学の頃には出会わなかったような人が多い高校でした。
そこでも色んな友達ができたのですが仲の良い友達同士で悪口を言うのを聞いたら「私はあなたもあの子も仲良いから、あなたがそう思うのはいいけど私の前では言わないで」とはっきりと自分の意見を言えるようになっていました。意見のぶつかり合いで喧嘩にもなったりもしましたが、その後また仲直りしたり。そんな変化があった気がします。
赤岩:高校を卒業して韓国が好きだったので韓国に携わるお仕事がしたいと思っていました。
色々調べてみたら美容系で実現出来ると聞いて専門学校に進むことにします。
でも入学金など払った後に美容系で韓国でお仕事ができないとその学校の人に言われてしまいます。
いざ入ったら話が違い、ここでは私の夢は実現できないと判断して入学式の前に学校を辞めました。
その後アパレルの会社に入って店頭で接客をしていました。
コロナ前は韓国のお客さんも多かったので韓国の方と触れ合える機会と思ってお仕事をしていたのですが、そのお店が改装に伴い撤退してしまいました。
これからどうしようかと求人サイトを見ていたらSPINNSの求人が目に飛び込んできて応募することに決めます。
元々SPINNSは学生の頃から大好きなお店で、天神に行ったら一番最初に行くお店だったくらい大好きなお店だったので「ちょっと応募してみようかな」と思って入社することになりました。
驚きと嬉しさが入り混じった衝撃的な出来事
ー最初、アパレルのお仕事をする時にSPINNSを選ばなかったのはどうしてなのでしょう。
赤岩:働くというイメージが全くありませんでした。
大好きすぎてお客さんとして行くところという場所と思っていて働く場所という脳にはなっていませんでした。
でも求人サイトを見て「えっ!」と思って応募することになりました。
ーSPINNSに入ってからどんな事が変わっていったのでしょうか。
赤岩:働き始めて4年になるのですが、お客さんのことを大好きになる4年間でした。
前職のアパレルでも、SPINNSに入って間もない頃はお客さんと接していても「買ってくれたらいいな」とか買ってくださったら「買ってくれたよっしゃ」みたいな、接客して買ってくださった嬉しさはありましたけど以前はそれだけでした。
その後、凄く覚えている事があるのですが、SPINNSで高校生のお客さんを接客していたらレジまで行って購入された後、わざわざ私のところに戻って来てくださって「お姉さんと仲良くなりたいからインスタ教えて欲しい」と言ってくださった事がありました。
当時は顧客さんという意味もよく分からなかったのですが、今思えば自分の顧客さんになってもらえるお客さんとの出会いが驚きと嬉しさが入り混じった衝撃的な出来事でした。
高校生の頃に思い描いていたお仕事がここで出来る
ー接客以外にも変化はあったのでしょうか。
赤岩:それから熊本から異動で福岡店に来ることになります。
元々インスタでフォローをしていた人だったのですが、私はその先輩がSPINNSの人だということ知らなかったので驚きでした。
その先輩が福岡店で韓国から仕入れた物をコーナー展開する事が決まり、大好きな先輩が大好きな韓国コーナーをやるということで「私もやりたい」と直接伝え、先ほどお話ししたようなお客さんとの接客の楽しさや喜びを伝えて仕入れしたり、売り場を作ったり一緒にお仕事をさせてもらえることになりました。
高校生の頃に思い描いていた「韓国に携わるお仕事」がここで出来るという想いが実現しました。
赤岩:韓国で直接自分たちで仕入れをしているので、仕入れした商品が我が子のように思えています。またそんな想いがあるのでお客さんにお伝えする内容も増えましたし顧客さんが急激に増えました。
私たちは「カワムテ(変われるってムテキ)接客」をしようと言われたのですが、最初は「カワムテ」の意味がよくわかりませんでした。
でも、いつもの接客にプラスアルファの質問をしていく事でお客さんの「変わりたい」「挑戦したい」という想いを応援する接客が出来るようになってきたと思います。
赤岩:韓国コーナーを立ち上げて一緒にやっていた先輩が異動で東京に行かれて現場で一人という状況になり、後輩が出来たのですが上の立場に立って直部下に伝える事がとても難しかったです。
やったこともなかったですし、やり方もわからない状況で直部下と仲が気まずい関係になってしまった時期もありました。
そんな中で社内研修で伝えていくことへの挑戦を現場で実践していきました。
私も伝えるし、相手も伝えるということを相手を想いあって実践した事が関係性を大きく変えてくれました。
伝え方の不器用さから相手を傷つけてしまうこともあったのですが、今ではそんな不器用さも笑いながら教えてもらえるくらいただの仲良しではない関係になりました。
挑戦することは良いことだよ
ー赤岩さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょうか。
赤岩:何事にも挑戦することは良いことだよと思います。
お洋服の系統を変えるチャレンジもあると思いますけど、他にも挑戦をしていると人に相談することや頼ることも学びました。
チャレンジしなかったら後悔する事がある気がしていて、美容の専門学校にあのまま進んでいたら韓国と関わる仕事もできなかったでしょうし、SPINNSにも入っていませんでした。
韓国コーナーが出来た時「私もやりたい」と学生の頃の私は言えなかったと思います。
小さな挑戦が今の自分を作っていると思えるので、挑戦することはいいことだよと思います。
赤岩奈奈【ナナ】
福岡県那珂川市出身
SUPER SPINNS福岡PARCO店
1wol7il担当
21歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。
22歳から福岡店のコンテンツブランド 1wol7il(ウォルイル)を作り、海外出張や仕入れ、店頭で業務を行う。
1wol7ilというブランドに出会い、沢山の方が素敵な1日を送れるように
日々、可愛いっと思ってもらえるお洋服やお客様との会話を楽しんで、
SPINNSへの「行ってみたい。また来たい。大好き。」作りをやっています!
インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。