「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSPINNS SHIBUYA109店 早瀬 委代さんにお話をお伺いしました。
絵と触れることは癒しだった
ー 早瀬さんの幼少期からのお話をお聞かせください。
早瀬:物心ついた時から絵を描くことが大好きで、学生時代は漫画家を夢見てる学生でした。
外で遊ぶよりも、家の中でお絵描きしたりぬいぐるみで遊んでいたりするようなタイプです。
小学校2〜3年くらいの頃に両親が離婚をし、祖母の家に住むことになります。
正直、祖父母とはあまり良好な家族関係ではなかったので、家にいる時は部屋にこもって漫画を読んだり絵を描いたりすることに没頭していました。私にとってその時間は癒しだったような気がします。
早瀬:高校を卒業する時に、漫画を職業にできないかと考えてデザイン専門学校を選び、漫画家のコースに入ることになります。
でも、いざ入学してみると周りのレベルが高すぎる現実にぶち当たります。
自ら作品をコンクールに出していたり、毎日漫画を描き続けているような人たちが周りにいて努力の差を感じました。
私は漫画が好きで読んだり、描いたりはしていたので「好き」を仕事にできると思っていたのですが周囲の人たちと比べると、そこまでの「努力」をしていなかったことに衝撃を受けました。
そんな現実と向き合うことになった私は前向きな気持ちが持てなくなっていました。
親からも「漫画家は現実的な職業とは違うのでは」と言われながら入学させてもらったのに、周囲のレベルの違いに怖気付いてしまって授業も真面目に受けなくなってしまいました。
小中高までは割と真面目だったのですが、専門学校に入ってからは頻繁に寝坊したり、寝坊したにも関わらず学校近くの牛丼屋さんでご飯を食べてから授業に行ったりと初めてグレたような行動を取るようになっていました。
早瀬:努力しなければ漫画家にはなれないと感じてはいたものの、周りの努力を目の当たりにして頑張れなかった自分を客観的に見ると「そこまで漫画家になることに対して本気じゃなかったのかな」と思い、漫画家になる夢は挫折してしまいました。
私に必要だったのは「努力」
ー 卒業してからどのような進路を進んできたのでしょう。
早瀬:漫画家を職業にしたいという気持ちは無くなってしまいましたが「好きなことをお仕事にしたい」という気持ちは変わらないままでした。
そこで専門学校卒業後は一旦就職はせず、自分の好きなことを見つけるためにフリーターとして自分が興味のある様々な職種のアルバイトを入っては辞め、入っては辞めを繰り返していました。
絵も好きで漫画も好きだったのですが、お洋服に携わるお仕事を少し経験してみて「私、お洋服も好きだな」と感じ、アパレルに興味を持ち始めます。
早瀬:ある日、名古屋の大須にあるSPINNSに高校生の頃よく行っていたことを思い出して久々にお店に行くことにしました。
改めてSPINNSに行くと、店内が活気に溢れていて、店員さんが超元気で笑顔で話しかけてくれる、そんな好きだった空間を久々に味わって「高校の頃一番好きだったお店はSPINNSだったな」ということを思い出しました。
ちょうどその時、求人募集の紙が貼られているのに気付いて見ていたら、店員さんが「気になってるんですか?」と聞いてくれて「もし興味があったら是非来てくださいー!」と言ってくれました。
興味もあったし、働いてみたいなと思っていたのですが、長年夢に描いていた「漫画家になる!」という想いを挫折してしまうような粘り弱い自分だったので、次何かやりたいことがあったら絶対に成功させたい!と強く思っていました。
SPINNSで働きたいという気持ちになっていた私はすぐにSPINNSに応募することを辞めて、他のアパレルで経験を積んでからSPINNSに応募しようと思い実行することにします。
私に必要なのは『努力』だと思ったからです。
好きでつながる感覚をより強く感じた
ー SPINNSに入るまでの修行に出た早瀬さん。その後どうなったのでしょう。
早瀬:近場のアパレルに応募して入社し、様々なお仕事を覚えて自分なりに接客というものも手応えが掴めるようになるまで2年間働いて退社。その後SPINNS名古屋店に応募して働き始めるようになります。
SPINNSは初心者でも歓迎しているのですが、私の中でSPINNSで働きたいと思った瞬間に「好きなことを仕事にするならもう自分の人生は失敗できない」と思ったので、経験がある方が採用してもらえると考えた末の行動でした。
早瀬:入社してからはレディース部門でビシビシ鍛えてもらい、担当長になって部下ができてと順調にキャリアを積んでいきました。
そんな中で、SPINNSに入る前のアパレルも含めて人と関わることが得意というか、接客が好きだなとSPINNSに入ってからは特に感じるようになりました。
早瀬:ある日、社内のブランド「ゆびが1ぽん(略称:ゆびいち)」を知ることになります。
当時サブカルファッションに興味があったので「なんじゃこのイケてるブランドは!!」と私にとってはかなり衝撃的な出会いでした。
当時は名古屋でも知ってる人は少なくて、取り扱い店舗が池袋店だけだったので通販で買ってゆび1のお洋服を着て出勤もしていました。
すると、名古屋店のお客様から「それどこのですか?」とよく聞かれるようになり、もしかしたら名古屋店で取り扱いをしたらお客様も喜んでくれるのではないかと思い、当時の店長に「名古屋にゆび1を入れたいです!」とお願いし、レディース部門の担当とゆび1を兼任で任せてもらうようになります。
この出来事から『好きで繋がる関係性』を強く感じるようになりました。
SPINNSの商品も勿論好きなので、繋がる感覚はあるのですが、特にゆび1は私自身が本当に好きなブランドだったので、お客様と「これ可愛いよねー!」と好きで繋がる感覚がより強く感じられたのだと思います。
早瀬:その当時、担当だったレディース部門は新人さんが多かったので、売り場作りなどに時間を割くことが多く接客がままならない状況でした。
作業をしていると”ゆびいち”のコーナーにお客さんが来ていたりして、接客できるタイミングを逃してしまうことに不満も感じていました。
「やっぱり自分は接客がしたいんだな」と何となく感じていたタイミングで名古屋店のすぐ近くに”thi’s DINER(ティーズダイナー)”というSPINNSとはコンセプトが違うお店がオープンしていました。
あるタイミングで人手不足になったこともありthi’s DINERに異動しないかとお声をかけていただきました。
そのお店は接客出来るスタッフが必要で、ゆび1も取り扱いをしていたので条件も揃っていましたし、私が抜けることでレディース部門の後輩たちの成長の機会にもなると考えて異動を決めました。
努力を積み重ねていけば必ず何かしらの結果につながる
ー 異動してからどのような変化が起こったのでしょう。
早瀬:thi’s DINERでの経験は私にとって成功体験になりました。
店長サブとしての働きと、ゆび1を通じてSNSや接客で少しずつ育んでいったお客様との関係性が、徐々に”顧客様”という濃い関係性に変わり、色々な形で結果につながっていきました。
私自身が課題と感じていた『努力』の部分は、しっかりと時間と継続を積み重ねていけば必ず何かしらの結果につながるという体験をさせてもらえて私の中で少し自信が生まれました。
早瀬:その後、ゆび1ディレクターのお二人が退社されることになり、「ディレクターを引き継いでやらないか」とお声掛けいただき、即答で「やります!」と答えました。
ディレクターをやるだなんて考えてもいなかったですし、正直不安もありましたが、チャレンジしてみようと決意して東京に異動になります。
私の中の「核」がなくなったような感覚
ー ディレクターのお仕事に飛び込んだ早瀬さん。新しいチャレンジはどうなったのでしょう。
早瀬:東京に異動後、SPINNS原宿竹下通り店でゆび1のディレクターのお仕事と店舗スタッフを兼任しながら働き始めました。
最初は商品を生み出す楽しさを感じながら企画などをしていましたが、私自身もゆび1が大好きなファンだった為、ゆび1の元々のスタイルと新しい可能性を両方見過ぎてよくわからなくなってきてしまいました。
1人でやる大変さも相まって「この先の人生どうしようか」と悩むぐらい。
結果的に身体的にもストレスが溜まってしまい1ヶ月半ほど休職をさせていただきました。
その期間ゆび1を続けるかどうかなども考えた結果、ブランドの休止を選択しました。
あくまでも休止なので再開できるような可能性を含んでの決断でしたが、当時はとても苦しかったです。
早瀬:休職前から、さらに異動して池袋店で働かせていただいてたのですが、ゆび1は池袋発祥で大きなコンテンツとなっていたので、
休止させてしまった責任と休職させていただいたことへの感謝も込めて「何か別の形で池袋店に貢献できることはないか」と思い、店舗スタッフとして戻る事を選びました。
早瀬:私にとってゆび1の存在はとても大きかったです。
成功体験でもありましたし、私にとってとても大切なブランドだったのですが、休止させてしまった後、自分の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような感覚になりました。
接客が好きだったということはわかっていたのですが「好きで繋がる」ということを体現させてくれたブランドだったので。
私の中の『核』がなくなったような感覚で、その後も『核』を探しているような状態でした。
そんな中でも、接客を通じてお客様と繋がる喜びや楽しさを頼りに日々を過ごしていました。
私にとっての大きな変化
ー ご自身の「核」がなくなったような感覚はその後どう変化していったのでしょう。
早瀬:その後、社員面談にチャレンジすることになります。
私にとって社員というのはあまり重きを置いていなくて、好きなことでつながることはアルバイトでもできると考えていましたし、「私が社員になれるのかな」と自信がなかった面もあったのだと思います。よくよく考えてみると「社員になる」と決断できず迷っている時点でなりたいわけではないのかなとも考えていました。
早瀬:お話させていただく中で、私と直接お仕事で関わることがなかった社員の方が自分ごとのように親身になって考えてアドバイスをくれたり、一緒に悩んでくれる姿を目の当たりにしました。
社員じゃなくても自分を表現したり、好きで繋がることはできると考えていたので、それは社員を目指すきっかけにはならないと感じていたのですが、
自分のために親身に話を聞いてくれる社員の方の姿を見て「私も誰かのために親身になって悩んであげられる存在」になれたらいいなと思い始めていました。
この時が「私にとっての大きな変化」でした。社員になることを目指した結果、今は社員として働かせていただいています。
変わり続けること
ー 早瀬さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。
早瀬:難しいですね。
「ムテキ」ってなんだろうって考えてみたんですけど。
自分のポイントになっているのは『努力』だったり『自信がなくてもチャレンジする』だと思うのですが、単語では出ますが正直上手く言葉には表せないです。
だけど、総まとめ的には「変わり続けること」かなと思います。
自分の人生を振り返った時に「不安」だったり「自分なんて・・・」だったり、自己卑下する瞬間などもたくさんありましたけど、それも変化のタイミングだったのかなと思いますし、失敗するかもしれないと思っても変わる選択肢を選んだことで、少しずつでも「ムテキ」に近付くのかなとぼんやり思っています。
早瀬 委代 【もよ】
愛知県出身
SPINNS SHIBUYA109店スタッフ
23歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS名古屋店)に入社。
SPINNS名古屋店からスタートし、thi’s DINER(ティーズダイナー)、SPINNS原宿竹下通り店、SPINNS池袋サンシャインシティアルタ店と様々な店舗スタッフを経験。自社ブランドゆびが1ぽんのディレクターなども経験し、現在はSPINNS SHIBUYA109店で副店長として奮闘中!
「好きと共感の輪を広げる」を自身のテーマとして掲げ、お客様の好きや変わりたいに寄り添い、自分の好きも表現しながら日々『変われるってムテキ』を体現し続けています!
インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。