変われるってムテキインタビュー vol.37 SUPER SPINNS 神戸三宮オーパ店 店長 片島優子

変われるってムテキインタビュー vol.37 SUPER SPINNS 神戸三宮オーパ店 店長 片島優子

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはSUPER SPINNS 神戸三宮オーパ店 片島優子さんにお話をお伺いしました。

人のことを考えず、自分が評価されるにはどうしたらいいか

ー 片島さんが変わった出来事のお話をお聞かせください。

片島:私の分岐点は町田店の店長時代の出来事です。
その前は三宮のスタッフとしてアルバイトで働いていました。
負けず嫌いで、お店の中でも自分が担当している部署が勝ちたいという思いが強かったです。
同じお店なのに他の部署よりも予算取るぞという思いだったり、横並びのスタッフよりも店長に認められたいという感情がすごく多かったです。
どちらかというと、人のことを考えず自分が評価されるにはどうしたらいいかを考えて行動している人でした。
出世したいとかはあまり考えていなくて、とにかく上司に「認められたい」という思いが強くありました。
当時は、あまり視野も広くなかったので会社とか他のSVとかに認められるという考えは浮かばず、とにかく目の前の上司に認められることが最優先でした。
でも、当時の上司はいい結果が出ても褒めてくれないタイプだったので褒めてもらえたことは本当にありませんでしたね。
「上司にダメ出しされない=結果的に良かったんだ」という感じでお仕事をしていました。

人のことを考えず、自分が評価されるにはどうしたらいいか

ー 評価されることを目標としてお仕事をしていた片島さんにどんな変化が訪れるのでしょう。

片島:そんなある日、店長をしてみないかというお話をいただき、選ばれたことが嬉しくて店長に挑戦することになり、町田店の店長として異動することにしました。
店長になるという状況の中でも「負けたくない」という気持ちで異動していました。
でも、まず担当長と店長とでは立場が大きく違います。
勝ちたい思いで働いていた私は、店長として勝負する相手がわからなくなってしまったり、どこに熱量を持って頑張ったらいいのかがわからなくなってしまいました。
そもそも三宮店でも協調性がなかったのですが、やはり町田店で孤立した状況になりました。
店長として異動したのにお店での自分の立ち位置がよくわからないまま過ごしていました。

片島:町田店は前任の店長さんが放任主義だったので、ある意味スタッフの団結力が高いお店でした。
そんなチームに突然、やる気だけは満載なのに協調性がない私が飛び込むことでスタッフとの関係性もぶち壊していくことになります。
今だからこそ分かるのですが、既存スタッフからしたら「新任の店長はやる気だけ凄くて、すごい言ってくるけど全然分かり合おうとしないのなんなの?」と思っていたと思います。
当然ですがそのまま人間関係は崩れてお店の中で孤立していき、自分の負けず嫌いの衝動もどこにぶつけていいのかわからなくなりどん底に落ちました。

スタッフが一人以外全員辞めてしまう

ー どん底に落ちた片島さん。この危機をどのように越えていったのでしょう。

片島:この時期が一番しんどい時でした。
店長を任されたのはいいけど、何していいのかわからなくなりました。
環境的にも三宮から東京に異動したので頼る人も近くにいない。
その時の私は精神的にとてもしんどい気持ちだったのですが「店長を任されたのに逃げる自分が一番許せない!」と感じていて「絶対負けない!」という気持ちだけは凄く思っていたことを覚えています。
今振り返って考えてみると、負けたくない気持ちの裏返しは「褒められたかった」に尽きます。
認めてもらったから店長をさせてもらえたのに辞めるということは選択肢に浮かぶこともありませんでした。
もし辞めてしまったら選んでくださった上司の信用を失うことになりますし「結局、優子ダメじゃん!」と思われること、信用を失うことだけは許せない私がそこにはいました。
だから辞めたくありませんでした。
でも、どうしていいのかが全くわからなかったです。

片島:そんな状況下でスタッフ達はどんどん辞めていき、最終的には既存スタッフは1人を除いて全員辞めてしまいました。
当時の私はスタッフから色々なことを言われて、言われることで傷ついていく。
でも、一人一人に関心を持ったら余計に傷つくと思ってどんどん無関心を装うようになって、さらに関係性が悪くなる、辞めていくというループにハマっていたと思います。
今思えば良くなかったなと思えるのですが「そういう風になってしまうんだな」という経験をさせてもらえたと捉えています。

部下たちに本当に大切なことを教えてもらう

ー どん底からさらにスタッフまでいなくなってしまった片島さんはどう変化してくのでしょう。

片島:その後、新人のスタッフが入ってくるようになってきたので自分が思い描く理想のチームづくりに切り替えていきました。
切り替えたと言っても私は変わったわけではないのでスタッフとの接し方が自分よがりなところがありました。
でもスタッフ達が「その言い方は違います!」とか私の自分よがりで接していた態度を教えてくれるようになって、その時初めて「あ、私協調性がないんだな」とやっと気づくようになりました。
ちゃんと伝え方を相手の事を考えて接しないと伝わらないんだということをチームに教えてもらったと思います。
勿論、辞めていったスタッフたちからも同じような指摘をいただいていたと思うのですが、その時は気づくことができませんでした。
今思えば時間の経過が指摘を受け止める余裕を作ってくれたのかなと思います。
町田店に行ったばかりの時は、店長業務も初めてで既に出来上がっていた組織に入って「前からこうやってますから」という暗黙の了解のようなものが壁のように思えていました。
でも、時間の経過と共に以前のお店の状態とやり方などが理解できるようになったことで聞く耳を持てるようになったのだと思います。

片島:最初の頃は、聞く耳を持てるようになったとはいえ「でも違うじゃん」とか否定してる自分がいました。
例えば「優子さんの言い方ってきついですよね」と言われたら「いやいやでもさ、、、」という反応になってしまうような感じです。
でも、ひとりだけじゃなくて色んなスタッフが感情的ではなくて冷静に「この言い方はおかしいですよ」と丁寧に教えてくれたり、第三者の相談にのる形で「あの子は感情的に部下に伝えてるから伝わらないところが彼女の課題ですよね」と当事者じゃない立場で聞くことで「そう感じるんだったら感情的に伝えるのは変えていかないといけないんだ」と冷静に学べたり。
本当に部下の子たちに大切なことを教えてもらったと思います。

片島:それこそ手法まで教えてもらいました。
「喋る前に、一回考えて喋りましょうね」みたいな(笑)それまでは、本当に感覚、感情で話をしていたので教えてくれたのだと思います。
そのような事を通じて「なんであの子はやらないんだろう」から「出来るように変わって欲しい」と考えるようになることで、喋る前に考える時間が増えていくことで自然と部下に感情移入出来るようになっていきました。
感情移入できるようになると、相手に指摘することやフィードバックする時に「なぜその事を伝えたいのか」が明確になり、私自身の伝え方が根本から変わりました。

自分は、自分の力で輝くことができる

ー 部下からの教えで変化していった片島さんが見えた風景とはどんなものだったのでしょう。

片島:そんな相手の事を考えて伝えられるようになると、自然と部下同士も相手に伝える意味や動機を明確にしてからお互いに伝え合えるような関係性ができていきました。
町田店でそんな変化が起こって1年くらい経ってから三宮店に店長として帰ってきました。
その時に昔働いていた時の自分と、今の自分の変化に気がつきました。
以前の私は個人プレイで自分が勝ちたいという負けず嫌いだった人が、ええチームを創るために動いてる人に変わったという感じです。
以前は自分が勝って、自分が認められることが嬉しい私だったのですが、今は皆んなが楽しく生き生きと働いて部下が認められることの方が嬉しく思える私になっています。
大きく変わったなと感じたのは以前はやりたい事が出来るようになるには、上司に認められないと出来ないと考えての価値観でした。
でも、今はやりたいと思ったことは必ずしも上司に認められないと出来ないわけじゃないという考え方になったのかもしれません。
「自分がやりたいこと」というのは「自分が輝くこと」を含んでいて、上司の力を借りてじゃないと輝けないと思い込んでいた私が、自分は自分の力で輝くことができるんだと気づかせてもらったという感じです。

片島:三宮に帰る時に、町田店に行った時のように既存のスタッフの中に飛び込む形になります。
そんな中で決めていたのは相手の意思を聴くということでした。
町田店での終盤は定期的に「何を思っていて、どう感じていて、どうなりたいか」を一人一人に聴いて、それぞれで考えていることや捉え方が違っている事を知ること。
そして私が何を考えどうありたいと考えているか、どんな経験や失敗をしたかを伝えることで私を理解してもらうこと。
そんなミーティングが出来るようになりました。

片島:町田店に行った時も決して受け入れてもらえていなかったわけじゃなかったと思います。
皆んな私のことを知ろうとしてくれていたのに、私が既に出来上がった組織に対して拒絶しチームから気持ちは抜けようとしていたから、孤独になっていったことを何となく自分でわかっていたのだと思います。
この経験から自分から孤独にならない、チームを一つにするような関わり方を教えてもらったと思います。

ひとりじゃない強さ

ー 片島さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。

片島:「自分が自分が」にならなくなったことで孤独にならない「ひとりじゃない強さ」
私は変化することで凄く生きやすくなりました。

片島優子【ynk】
兵庫県神戸市出身
SUPER SPINNS 神戸三宮オーパ店 店長

SUPER SPINNS神戸三宮オーパ店に21歳で入社。
3年間レディース担当として教育してもらい24歳の時に上京。
SPINNS 町田ジョルナ店の店長として4年半勤めた後古巣のSUPER SPINNS 神戸三宮OPA店に店長として戻ってきました。

インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。