「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回のインタビューはSUPER SPINNS 梅田HEP FIVE店 店長 澤田翼那さんにお話をお伺いしました。
1番になれないから悔しくて頑張るというのは私には無かった。
ー澤田さんの幼少期のお話をお聞かせください。
澤田:6人兄妹の上から2番目の長女で、妹が生まれるまでは女の子は1人だったこともあり両親からは甘やかされ、可愛がられて育てられました。
その頃はとても活発な子供だったことを覚えています。
その後、妹が生まれ幼心の中で「自分の役割が注目されない」という寂しさと同時に「妹可愛いな」という気持ちがあり、下の3人が可愛がられるのを見て育ちました。
澤田:中学校では勉強は出来ませんでしたが、真面目な方でした。
陸上部で活躍していて、毎日走ってばかりの真っ黒に日焼けをした女の子でした。
特に嫌な出来事もなく高校へも順調に進学し、中高生の頃は至って平凡に生きていました。
その後、大学を陸上推薦で入ることになりますが1ヶ月で辞めてしまいます。
辞めた理由は、個人種目ではトップ2番までに入らなければいけないのに推薦で入ってきた子達の中では2番目に入れるか入れないかという実力から、1番になれないなら意味がないと考えるようになり、単純に楽しくなくなってしまいました。
1番になれないから悔しくて頑張るというのは私にはありませんでした。
同時に、コンビニでアルバイトをしていたのですが自分の力で働けば自由に使えるお金が増え欲しいものが買えるという喜びに目覚めたということを知ったことも大きな理由になります。
家の決まり事としてアルバイトを始めたら携帯代は自分で払い、残ったお金の半分は家に入れて残ったお金は自由に使っていいということがありました。
ですので、働けば働くほど自由に使えるお金、遊ぶお金が増えると単純に考えていたことを覚えています。
たまたま求人雑誌にSPINNSが載っていたので応募
ーそんな澤田さんはどのようにしてSPINNSで働くようになったのでしょう。
澤田:遊ぶお金欲しさにアルバイトに専念し始めたのですが、父の転勤で大阪から神戸、神戸から姫路の方に引っ越すことになります。
すると遊び相手だった仲の良い大阪の友人と離れてしまったり、働いていたコンビニも通えなくなってしまうようになりました。
そこでコンビニで働いてもステップアップが見えないことを感じて別のお仕事を探すことになります。
若い時期だったので洋服は好き。だから洋服関係の仕事で、かつ学生時代の女子部での経験から、女性ばかりの職場よりも男性もいる職場の方がいいなと感じた事という条件の中で探し始めたら、たまたま求人雑誌にSPINNSの募集が載っていて応募したことがきっかけで入社することになります。
わたしが大きく変化する4つの出来事
ー入社して現在何年目ですか。
澤田:入社して14年目になります。20代をSPINNSに捧げたと思っていますが、振り返ってみると良い歳の取り方をしたなと思います。
そんな14年の中で私が大きく変化する出来事が4つありました。
初めて「自分の意思」が生まれた
澤田:一つ目は「人の力に動かせてもらった」出来事です。
入社したSPINNS姫路店では、今まで生きてきて初めて両親以外で大好きな大人達に出会いました。
右も左も分からないままお仕事を始めたのですが一生懸命に頑張ったことを、褒めてくれたり評価してくれて、ダメなことに対しては全力で叱ってくれる先輩の方達で、叱ってくれた後に「今日遊び行こうか」と誘ってくれるような人間味のある上司や先輩達でした。
当時はまだSPINNSは好きでしたが、会社のことはよくわかっていない状況でした。
そんなある日、SVの方から「店長をやってみないか」と誘っていただきました。
私はその時、まだ働き始めて2年ほどで「そんな私に任せて大丈夫?」とか「店長自体考えたこともない」とか「自分よりも先輩がいるのになんで私?」と思いを受け止められずにいました。
その後も数回にわたってお誘い頂いたり、同世代で店長やバイヤーという目標を持って頑張っている仲間達を紹介してもらったりしていたのですが、結果的に自分の中で店長をやる勇気が持てずお断りしていました。
そんなある日「これで誘うの最後にする、決めるのはセスナ。無理強いしてごめんな」と言われた時に、とても寂しい気持ちになって結果的に店長を目指すことになります。
その後、ほとんど話したことのないSVの上司の方から「セスナがやるって言ってくれて本当に嬉しかった」と言われました。
後日聞いてみたら、ずっと誘ってくださっていたSVの方が本当に嬉しそうに上司に報告くれた姿が嬉しくて、そう言われたと知りました。
そんな出来事を通じて「私が勇気を出すことで、想ってくれる大人達がいる」と感じ、その時からずっと受け身だった私の中で初めて「自分の意思」が生まれたような気がします。
自分の力では出来なかった
澤田:二つ目は「うまくいかない」期です。
前述の経緯から阿倍野店の店長を任されることになりました。
新任の店長なので既に出来上がっている店舗のチームに入ることになります。
そんなチームに溶け込むことは出来て、スタッフとも仲良くなれることはできたのですが、そのチームはどちらかというと「内側に向いた」チームだったと思います。
他店舗との交流会があっても参加するのは私だけだったりで、もっと他の店舗のスタッフ達との交流したりして横の繋がりを増やして貰いたいと思っていましたが上手くいきませんでした。
その当時の私はそんな状況を「前任の店長の指導のせい」とか「スタッフのおかげでお店は続けてこれたから」と何かにつけ色々な言い訳をつけて諦めてしまっていたと思います。
「仲の良さを大切にして、できることをやればいいや」と考えていた頃、あるスタッフの存在に気が付きます。
そのスタッフは素直で、良いことも悪いこともその場で正直にフィードバックくれるようなスタッフでした。
他店舗との交流会でもそのスタッフを誘うと「セスナさんが行くなら行きます」と言ってくれるだけでなく自ら他のスタッフを誘ってくれて、今まで断り続けていたスタッフまでもが参加するようになったりと巻き込み力も持っているスタッフでした。
そんなかけがえのないスタッフと接する中で「この子に会社で活躍してもらいたい」と強く願うようになり結果的に社員になるまで成長しました。
店長の1番の大きな仕事は「人を育てる」ことだと考えていますが、そのスタッフの存在でひとつ結果が出せたと思いました。
でも後々振り返ると、その成長はそのスタッフの自分の力で社員になったと感じています。
この時の店長経験は「スタッフを育てることができた」と思う反面、自分の力ではできなかった期間だったと感じています。
人生で初めてくらいの孤独感
澤田:三つ目は「どうしたらいいのかわからないから辞める」期です。
その後、阿倍野から三宮店の店長に異動になります。
異動初日から「自信のない自分」と向き合うことになります。
当時の私は自信がなく上司の言われた通りにやっていれば失敗しない、自分の意思がなくてもいいやと感じていました。
異動直後から部下から前任店長との比較をされていることも感じていました。
自信がないから受け身でお仕事をしていると上司とも部下とも上手くいかず、お店に自分の居場所がない感覚でいっぱいになっていきました。
「上司からは求められる、部下はついてきてくれない。どうしたらいいのかわからない」と今までの人生で初めてくらいの孤独感を感じ、私にとってしんどすぎて会社を辞めようと思い相談することになります。
するとSVの方が「人生はそういうこと沢山ある、一回全部話してみよう」と食事会に連れて行ってくれました。
そこで感じていること考えていることを洗いざらい話したらスッキリもしましたし、何より楽しかったことを覚えています。
でも、お店で起こっている現実は変わりません。
そんな居場所がないと感じるお店の中で唯一救いだったのは新人アルバイトスタッフ達でした。
正直に私の良いところや大変なところを伝えてくれて「この子達といると楽しいな」と感じる瞬間が沢山ありました。
そんなある日関西地区で大きな人事異動があり、お店のスタッフが大きく入れ替わることがありお店の環境がまるで変わりました。
「つい立ち寄ってしまうような居心地のいい場所」
澤田:四つ目は「なんとなく自分のことを理解して進み始めた」期です。
その後SUPER SPINNS三宮店からSUPER SPINNS梅田HEP FIVE店の店長として異動になりました。
新たに店長として30名以上のスタッフの店舗の店長になる前、大きな変化が起こりました。
どのタイミングで変わったのかは分からないのですが、これまでと大きく違うのは「仲良しでつながる」というより「ひとりひとりにちゃんと向き合える自分」になったということです。
それは「梅田店としてのひとりひとりのビジョンだとか、梅田店としてやりたいお店」が明確になったことが大きな原因の一つであると思います。
「お店のこうありたいというビジョン」が明確になったという感じです。
お客さんもスタッフも本部の人もどんな人でも、ここに来たら「つい立ち寄ってしまうような居心地の良い場所」がお店のビジョンです。
そのビジョンに対して自分自身がぶれないように頑張ろうと思うようになって、そのビジョンに対して反していないかという感覚で物事を判断できるようになりました。
例えばスタッフ同士の挨拶も元気がある、ないとかで揉め事が起こったとしたら、以前の私は「また揉め事起こってるな」という感覚だったのが、今では「お店としてどうあるべきか」を軸にスタッフに求めますし、即時伝えて「居心地のいい場所」がつくれる「人のあり方」を伝えられる自分になっています。
それが良いと感じる反面、変に頭が硬くなって面白くなくなったかもしれないなとここ1週間で感じたので勉強しようと考えているところです。
ビジョンが明確になって、人との関わり方も変わって、成果も出てきて、自分自身のわがままというか「こうなりたい」を言えるようになりました。
困難が起きても笑い飛ばしながら「やばいやん、やろか」
ー4つの大きな出来事から変わっていった澤田さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。
澤田:「一生笑ってる」という感じです。
自分が変わったなと思う出来事は、人との関わりがなければ起こりませんでした。
人と関わったからこそ変われました。
人との関係は良い時もありますが良くない時もあります。
悲しい時は泣いて欲しいですが、困難が起きても笑い飛ばしながら「やばいやん、やろか」と笑いながら越えていくようなイメージです。
澤田翼那【サワセス/セっさん】
埼玉県出身
スーパースピンズ梅田HEP FIVE店 店長
19歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS姫路店)に入社、担当長、副店長、新店舗の立ち上げなど経験し、
SPINNS阿倍野店店長就任、その後SUPER SPINNS神戸三宮店店長、FC事業部のSVをし、
現在SUPER SPINNS梅田HEPFIVE店の店長に!
ハッピーラッキースマイル精神で毎日お客さま、仲間へ居心地のいいお店(空間)を創ること、
もう来たくないと二度と思わせないお店創りを沢山の仲間と共に取り組んでます!
インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。