変われるってムテキインタビュー vol.40 SPINNS プレス部 藤永 恭太朗

変われるってムテキインタビュー vol.40  SPINNS プレス部 藤永 恭太朗

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはSPINNS プレス部 藤永 恭太朗さんにお話をお伺いしました。

「こういう行動をすると、友達が集まってきてくれるんだ」

ー藤永さんの幼少期のお話をお聞かせください。

藤永:もともと愛媛県松山市で生まれました。
転勤族で父親の仕事の関係で色々なところを転々とする幼少期でした。
そんな転勤・転校を繰り返していたのですが、小学校2年生に引っ越した際に転校先の友達となかなか溶け込めないなと感じた出来事がありました。
誰も知らない人たちの中に飛び込んだので、まずは友達を作ることからスタートだなと思っていました。
子供心で「何か面白いことをやってみよう」と何気ない面白い行動を取ったら、友達が笑ってくれて、いろんな人が集まってきてくれた出来事が今記憶の中に強く残っています。
それから「こういう行動をすると友達が集まってきてくれるんだ」というのが嬉しくて、一種の成功体験のような感覚を得ました。

藤永:そのまま中学生になっても同じように友達に「こういうことやってよ」と振られたら何でも応えるような、そんなムードメーカーキャラが確立されていっていました。
今でもそういう傾向があります。

藤永:でも、だんだんとその「振り」に応えるということが同時に、周囲の迷惑にもなるようなことが増えていきました。
例えば授業中に大きな声を出したりとか。
その時は他の人たちの迷惑にあまり気がつくことが出来ませんでした。
その頃、僕は一部の友人が笑ってくれたらいいと思っていましたし、仲良くなれたらいいという思いだけでやっていました。

「周りの人に喜んでもらいたい」と「目立ちたい」という欲

ー人の期待に応えて喜んでもらうことが嬉しかった藤永さん。その後どうなっていくのでしょう。

藤永:その流れが高校に入ってから悪い方向に向いてしまいました。一部だけが盛り上がり、他の人たちに迷惑がかかるような行動へとエスカレートしていってしまう結果になって、調子乗って目立ってることが良いことと捉えるようになっていました。今思えば勘違いしていたと思います。
そんな中トラブルを起こしてしまい高校を退学になってしまいました。
高校も辞めてしまうし、調子に乗った態度だったので親とも疎遠になってしまい、家にも帰らない時期もありました。
退学後何もしないでいると、周りは高校に楽しそうに通ってる友人ばかりで、羨ましさから別の高校に入り直すことになります。
でも動機が動機なだけに僕の性格は変わっていなくて、また同じように周囲の要望に応える行動ばかりとって、それが度を過ぎるというパターンを繰り返して迷惑をかけてしまっていましたが、何とか卒業することはできました。

藤永:振り返ると、当時の僕は「周りの人に喜んでもらいたい」という思いと同時に「目立ちたい」という欲もあったと思います。
そんな目立ちたい欲から洋服に興味を持ったのでファッションの専門学校に行くことにしました。

藤永:洋服は好きだったのですが、僕の心の内面はずっと「変な調子ノリ」が続いていました。
洋服を楽しめて、みんなで騒いで楽しみたいという思いと福岡という都会に出てきた「お上りさん」感覚が強くて「今までやったことないことがやってみたい」と思うようになります。
そんな頃に初めてSPINNSに行きました。
初めて見たSPINNSの店員さんは派手で、お客さんと楽しく話していたり、みんなでワーワー声を出して盛り上げていました。そんな姿を見て「自分を楽しく表現したり、騒いで目立てる」と勘違いしてすぐに履歴書を出し、採用してもらうことになります。

ようやく自分が任される場所が出来た

ーSPINNSでのお仕事はどんな感じだったのでしょう。

藤永:正直、そういう目的で入ったので仕事をしている感覚ではなくて遊びにいったり騒いでる感覚で仕事をしていました。
今でこそ言われるのは当時の店長やSVの方は「何で採用したのかわからない」と言われるくらい注意されまくっていました。
表面上は反省しつつも目を盗んで騒いじゃうという、どうしようもない人でした。
そんなタイミングで「アフロの日」というイベントがありました。
みんなでアフロを被って、アフロのカツラも販売して、アフロ姿でお会計すると何%割引というイベントでした。
その時に「このイベント先陣切って盛り上げろ」と言われ「よし来た!」と思い、思い切り盛り上げました。
すると「一緒に写真撮ってください」ですとか「お兄さんと同じアフロが欲しいです」とか言ってくださるような出来事がありました。
それがとても嬉しかったことを覚えています。

藤永:また、他のスタッフはみんな担当の部門を与えられてその中で仕事をしていたのですが、僕だけ部門が与えられてなかったのですが、自分の部門ができたような感覚がとても嬉しかったです。
ようやく自分が任される場所が出来たような感覚でした。

「自分本位」ではなくなっていった変化

藤永:その後「日焼けの日」というイベントがあって、日焼けの濃さで何%割引というイベントです。
そこで僕は全身を絵の具で茶色に塗って盛り上げていいですかと提案して、案の定思い切り盛り上げることに全力を出しました。
するとまたお客さんが笑ってくれたり、喜んでくれたことがめちゃくちゃ嬉しくて次々チャレンジしていきます。
「父の日・母の日」イベントでは誰よりも父の日・母の日の手紙を書いてもらうという目標に向かって突っ走っていました。
一緒にお客さんと手紙の内容を考えたりだとか自分なりに試行錯誤して盛り上げていたことを覚えています。
それまでは自分が目立つとか、自分が気持ちよくなってた感覚だったのが、お客さんが楽しそうだったり、喜んでくれることが自分の楽しさや喜びに変化していったのがイベントの体験のおかげでした。

藤永:その後も「放課後スピンズ倶楽部」というイベントでも盛り上げていたのですが、どんどん自分の中の変化を感じていました。
自分本位ではなくなったのはこのイベントを通じて、変化していったことを覚えています。
こんな性格だったので僕のことを毛嫌いする人たちもいましたし、対立することもあったのですが、そんな変化がこの対立も解消することにつながっていきました。
そうなれた自分が好きになれたと思います。

変化の後押しは「感謝されたこと」と「褒められたこと」

ー自分本位から人が喜んでくれることへの喜びに変化した藤永さん。その変化はどんな要因があったのでしょう。

藤永:そんな自分の変化の後押しになった要素は二つあったなと思います。
一つは「感謝してもらえたこと」です。
お客さんからの感謝であり、上司や仲間から「すごく盛り上げてくれてありがとう」という感謝。

もう一つは自分本位だった僕に対して、そういう性格はなおして欲しいと思われてたりして人間関係が上手くいかないこともあったのですが、それを超えて「褒めてもらえたこと」です。
他の人が幸せに感じてもらえることや、喜んでもらえることで自分自身も感謝されたり褒められたりすることが喜びになったことです。

今こんなことがあったなと思い出したのですが、「母の日」イベントの時に若い男性のお客さんが来られて話をしていたら、母親との関係が良くないと教えてくれました。
そのお客さんは、高校を辞めたことをきっかけに仲が悪くなったという話だったのですが「仲直りのきっかけに手紙書いてみようよ」と勧めました。
これは僕の高校時代の経験ととても重なっていたので、よりお客さんに共感できたことも大きかったと思います。
お客さんは、最初は手紙を書くのを渋っていたのですが色々と話をする中で「お母さんあっての自分だよね」「今楽しいことがあるのも母親がいなければなかったよね」と当時、自分が実家から福岡に出て感じ始めていた自分の「母親への感謝心」をお客さんに伝えつつ、自分にも伝えていたような気もします。
「これをきっかけに仲良くなりなよ」と一緒に文章を考え手紙を書いてもらいました。
お客さんは渋々持って帰ったのですが、後日挨拶をしにきてくれた出来事がありました。
「マジ渡せてよかったです、完全に仲良くなれるかわからないけど」と挨拶しにきてくれました。お客さんはお母さんに冷たくされてると感じていたようでしたが、手紙をきっかけに少しずつ会話出来るようになったと、ちょっと言いづらそうな感じでしたけどお話をしてくれました。

その後、その親子が仲良くなったかどうかは僕には分かりません。手紙を渡した数日間だけ良かったのかもしれませんし、その後関係が良くなったのかもしれないのですが、お礼を言いにきてくださったそのお客さんの姿をすごく覚えています。
僕は、そんな沢山のお客さん達から多くの感謝や喜びを頂いていたんだなと今になって思います。

「自分が楽しい」と「人に喜んでもらう」の両方

ー藤永さんにとっての「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。

藤永:「自分本位ではなく活躍し、人に喜んでもらう」ことだと思います。
「自分が楽しいと思うことを人に喜んでもらうことで全力出せる自分」という視点と「人に喜んでもらうことを通じて自分が全力を出す」という二つの視点が両方あってムテキなのかなと今は思います。

藤永 恭太朗【あたろー】
佐賀県鹿島市出身
SPINNS プレス部

20歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。
20代前半で店長を経験し、現在はプレス部でコラボレーション企画・生産、SPINNSのフェア・キャンペーンの企画を担当しております。