変われるってムテキインタビュー vol.45 FUJI STORE 名古屋店 店長 吉岡海斗

変われるってムテキインタビュー vol.45 FUJI STORE 名古屋店 店長 吉岡海斗

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはFUJI STORE 名古屋店 店長 吉岡 海斗さんにお話をお伺いしました。

「自分への不甲斐なさからの絶望」

ー吉岡さんのこれまでのお話をお聞かせください。

吉岡:高校を卒業する頃、就職先が決まらず悶々としていた時に母親から「手に職をつけるといい」とアドバイスを貰って学校求人を頼りに水道工事の会社に入社しました。
就職してから1年間「面白くない」と思いながら働いていました。
元々ファッションが好きだったので「服に携わる仕事がしたい」という思いがどんどん膨らんでいき仕事を辞めました。
勢いでやめたのはいいものの働きたいお店はそもそも求人が出ておらず、会社を辞めてから1ヶ月間は働く場所が決まらないという焦る気持ちがどんどん大きくなる毎日でした。

吉岡:そんなある日SNSを見ていたらSPINNS VINTAGE & CAFEというアメリカ村のお店のオープニングスタッフの求人募集に目を止めることになります。
元々SPINNSというお店も知りませんでしたし「VINTAGEって何?」くらいの感覚で調べるとSPINNSは「梅田HEP FIVEに入ってる店か」と思い当たり、服屋さんだとわかって取り敢えず応募することにしました。
これは運命的な出会いだったと今振り返ると思います。

吉岡:当時の僕は垢抜けてもなく、ダサかったのですが持ち前の明るさと素直さを武器に採用していただくことになりました。

「理不尽だなと思いつつも切り替えて取り組む」

ー吉岡さんのこれまでのお話をお聞かせください。

吉岡:こうしてアパレル人生が始まりました。
当時ファッションもダサくて、社会のルールも知らない19歳の若造でしたがSPINNS VINTAGE & CAFEの当時の店長さんに徹底的に教えてもらいました。
敬語が使えないこととか、生意気なところは結構叱られたと覚えています。
その頃は若かったこともあり「なんで叱られてるの」かもわからなかったのですが「叱られるということは他の人も感じていること」だと捉え学んでいきました。
両親が昔から「社会人になっても怒られるということは良いことだぞ」と教えてくれていたので、そう捉えることができたのだと思います。
だから「理不尽だな」と思いつつも切り替えて毎日の仕事に取り組んでいけたのだと思います。

吉岡:初めてのアパレルでの仕事はとても楽しかったです。
スラックスに柄シャツとかライオンプリントのトップスにチェックパンツとか
今思うと黒歴史なのですがダサいなりに好きな服を色々試してアパレル店員として働くことは充実していました。
そうこうしているうちに服の知識も増えていき「古着」の魅力に取り憑かれることになります。
入社した当初は「古着」すら知らなかったのですが、いつの間にか「古着」を追求したい気持ちになっていて当時、大阪を代表する「古着屋」で働いてみたいという思いが先行してSPINNSで働いていたにも関わらず別の会社の古着屋さんに応募し面接を受けてしまいました。

「お前それはアカンやろ」

ーSPINNSで働きながら別の古着屋さんに応募した吉岡さんはどうなるのでしょう。

吉岡:面接の結果は即採用だったのですが「いつから働けますか」と聞かれて「明日からでも働けます」と答えてしまいました。
まだSPINNSで働いてるにも関わらず。
その古着屋さんの面接担当の人は「それは良くない、キチンと今働いているところに話をして退社日がわかったら改めて教えてください」と諭してくださいました。
やりたいことがあったら即行動してしまう自分のいいところでもあるのですが悪いところでもあります。
その後、別の古着屋の面接に受かったことを店長に伝えると当時の店長は
「お前それはアカンやろ」と言いながらも「やりたいんだったらやってこい」「でもアカンかっったらまた帰ってこいよ」と優しい言葉をかけていただき別の会社に転職することになります。

吉岡:その後、別の会社で3年間働くことになります。
僕のアパレル人生でその古着屋さんで働いたことは大きな意味がありました。
最先端の古着屋で店員が全員格好良くて、そんな格好いい大人になりたいと思っていました。
当時の僕はファッションセンスがなかったのでコーディネイトや髪型一から百まで全部聞いて真似をしていました。
ある意味コスプレだったと思います。
同時にお仕事も頑張っていました。

「自信もついたが、天狗にもなっていった」

ー3年間の古着屋での仕事で何を学ばれたのでしょう。

吉岡:そんなある日、憧れの先輩に「めっちゃ格好良くなったな」と言われ他ことで自信がつき、接客や仕事、人生自体に自信が持てるようになりました。
最初は見よう見まねで真似ばかりしていた僕が、だんだんと自分のスタイルを見つけて「自分らしさ」のようなものが表現され始めたことが評価されたのだと思いアパレル店員としても男としても自信がつき、やる気の源になっていきました。
そんな日々を過ごす中で僕は自信もつきましたが同時に天狗にもなっていっていました。

吉岡:3年間働き店長まで任せてもらうようになりましたが、天狗になっていた僕は色々あって、その会社を辞めることになります。
そのタイミングでSPINNSで働いていた頃の店舗管理の方に声をかけていただくことになります。
「辞めたんだったらSPINNSの新しくできるお店の店長として戻ってこないか」というお話でした。

「自分の力を過大評価していた」

ー人生の岐路をどのように決断されたのでしょうか。

吉岡:最初は迷いましたが、両親に相談したら「誰かに頼られるというのはありがたいことだから挑戦してもいいんじゃないか」と言われ挑戦することにしました。

吉岡:しかし、天狗になっていた僕は「前職での店舗でも売り上げ上げることができたし余裕だろ」と思っていましたが実際にオープンするとひどい有様でした。
心斎橋の中にあるけれど立地の問題もありましたが認知がされておらず、全く集客できませんでした。
その現実を目の当たりにした時に「自分には力がない」と本当に思うことができました。
店を作る力も、店長としてのスキルも全く通用しません。
前職では「一匹狼」で仕事をしていたので周囲に頼ることも頼り方も知らず、自分の力を過大評価していたのです。

吉岡:そんなある日SUPER SPINNS梅田店から「学生アルバイト」スタッフが自ら志願して異動してきました。
あまり「学生アルバイト」が自ら異動を志願するということはないと思うのですが。

「そもそも全てを変えなければ先には進めない」

ーその「学生アルバイト」さんはどのような方だったのでしょう。

吉岡:移動してきた彼は一言で言うと「嫌いなタイプ」でした。
全てを理論で語るような、人の悪いところを根拠をあげて指摘してくるタイプです。
しかし同時に「凄いな」と思う部分もありました。
彼は大学生アルバイトでありながら「本気で」お店の認知度や売り上げを上げたいと強く思っている子でした。
僕は一匹狼気質があったので、店長でありながらスタッフ教育もできていませんでしたが異動できたその子がしてくれていました。

吉岡:そんな日々を過ごす中でだんだんとその「学生アルバイト」の子がスタッフ全員から信頼されていくようになります。
店長である僕よりも。しかも後から来たのにも関わらず。

吉岡:当時の僕は自分のことで精一杯でした。
スタッフ教育に意識は向かず、お店をどうしていきたいとか目標とかスタッフに話さない、そんな自分しか見えていない状態です。
そんな状態の中、SPINNSの社員のエントリーの話を聞き「自分も社員になりたい」と思いましたが、今の自分の姿を客観的にみた時に「社員になれないな」と思ったので1年後、実力をつけてから社員になろうと決意しました。
それから1年、仕事に真剣に取り組むことになります。

吉岡:そもそも自分を全て変えなければ先に進めないと思ったのですぐできることから取り組みました。
自分の大きな課題は「一匹狼」だと思いました。
だからスタッフに話せないし、頼れない。
それまでは1ミリもスタッフに興味がなかったのですが、自分から声をかけたり、褒めてみたり、一緒にご飯に行ったりコミュニケーションを取るようにしてお互いを知ることから始めました。
すると気がついたら仕事の話もしやすくなっていました。

「どうしてこの子はそこまで言ってくれるのか?」

ー「一匹狼」から群れをなしていこうとする吉岡さんの次の一手はなんだったのでしょう。

吉岡:そんな中で先ほどお話しした「学生スタッフ」の子と向き合うことにしました。
正直、個人的にミーティングなどしたくありませんでした。
なぜなら自分の出来ていないところを指摘されることが怖かったからです。
でも、考え方を変えて「どうしてこの子はそこまで言ってくれるのか?」と捉えるようにしました。
二人で話をすると彼はお店の代表としての想いを伝えてくれました。
話を聞いて大きな危機感を感じることができました。
店長である僕ができていないのに「学生アルバイト」の彼はできているしやっていることに気がついたからです。

吉岡:二人で話をすることを繰り返す中で、僕自身が彼の言葉を素直に聞けるようになっていました。
元々プライドが高くて、クソ悔しい思いをしていましたが彼の言ってくることは間違っていなかったからです。
また、彼もプライドが高い人だと思うのですが、そんな二人がお互いに言いたいことを言い合って、お互いに切磋琢磨する日々を過ごす内に、自分のやりたい事や想いをスタッフの皆んなに伝えるようになっていきした。

吉岡:そんな彼は大学卒業と共にお店を辞めましたが、今でも一緒に飲みに行ったり遊びにいく仲です。
僕がそのお店を異動になる時には、辞めたにも関わらずわざわざ花を持ってきて送り出してくれるような関係になれました。

「スタッフを本気で信頼しているか」

ー人と向き合い続けた1年は吉岡さんにとってどんな1年だったのでしょうか。

吉岡:社員を目指すということを通じて、まず自分を過大評価していることに向き合いました。
お店のスタッフ達を通じて自分の実力のなさを実感して、人間としても仕事としても実力がないことに気がつかせてもらいました。
好きな仕事なのに何も残せない自分はダサいと感じましたし、もう格好つけてる場合じゃないと痛感しました。
そんな過程を通じて1年間取り組んできて改めて社員募集にエントリーできたのは自分自身が買われたからだと思います。

吉岡:プライドの高かった僕は当時の上司に「お前のやってることは本気で向き合ってない。スタッフを本気で信頼してるか?」と言われたことがありました。
その頃の僕はお店の仲間に「もっとこうしてほしい」が言えなかったからです。
その理由は「嫌われたくない」とか「反抗されたくない」とか自分が保身に走っていたからだということをその言葉で気がつくことが出来ました。

気がつき、行動することで自分が変わる姿をスタッフに見せることができたのかなと思います。
スタッフから「最近変わりましたね」とか「変わってくれて嬉しいです」と言ってもらえるようになったからです。
そんな関係性が築けたらお店の環境が必然的に良くなっていきます。
するとその雰囲気がお客さんにも伝わったのか集客も増え、売り上げが伸びていきました。

「自分から変わる」

ー吉岡さんのにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょうか。

吉岡:「素直」だと思います。
自分を受け止める。自分と周りの意見を受け止め、自分から変わる。
という感じだと思います。

プロフィール
吉岡 海斗【カイティー】
大阪府大東市出身
FUJI STORE 名古屋店店長
19歳でヒューマンフォーラム(SPINNS VINTAGE & CAFEに入社。

古着屋の店長を経験し
現在は名古屋でFUJI STOREの店長として活動中。

インタビュー・ライター
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ、横浜市在住。
g5designs & co.主宰し「あらゆるものをデザインする」活動を行っている。